なにすてた? #02 PAUSE 吉原友美さん | 前編 それまでの“わたし”を手放すまで
仕事に家事に、ひとによっては育児や介護。
忙しく働くわたしたちは、こころも身体も重くなりがち…ですよね?
いつも軽やかで、すこやかなひと。
ときどき出会うそんなひとたちは、「手放し上手」だって思います。
手放すことで気づき、前に進むことがある。それがこころと身体の養生につながるように思うのです。
さまざまなことを見つめ直すこのご時世。
連載企画「なにすてた?」では、素敵なひとたちのこころの断捨離ものがたりをお聞きしていきます。
前編 それまでの“わたし”を手放すまで
第2回目は、PAUSE(パウズ)の吉原友美さん。
出張花屋や花教室をひらき、日々の暮らしに寄り添う花を届けています。
以前は多肉植物を扱う活動をご夫婦でされていました。
昨年の秋、再会したら「わたし、新しいことを始めたんです。」と吉原さん。
コロナ禍でそう話す姿は、なんとも清々しくて新鮮だったのです。
吉原さんが手放したのは、夫婦関係とそれまでの自分でした。
できたばかりの千葉県印西のアトリエにお邪魔し、お話を伺いました。
◆美容師にアンテナ工事??意外な経歴書
―植物の仕事に携わるまでは、どんなことをされていたんですか?
子どもの頃から家庭環境が悪かったので、早くに家を出て、祖母に助けてもらいながら、美容師になったんです。
夫と出会ったのはその頃。当時は一人暮らしでお金もなくて、美容師をやりながら、美顔器の販売もしたり。
借金を返すために、いろいろな仕事をしましたね
20代半ばは宇都宮や西東京で地デジのアンテナ設置工事もしていました。
― え?アンテナ立てる吉原さんの姿、全然想像がつきません
安全帯つけて、作業着着て、屋根の上に登って。いま思うとよくやったなって。若いってすごいですよね。
立てるだけじゃなくて、風で倒れたアンテナを直しにいったり、おかげでアンテナに関しては、もうプロ級 笑
当時はとにかく生活するのに必死で、職も住まいも転々として、絶えず動いていて…。
立ち止まる暇も、悩んでる暇もなかった。
振り返ってみたら、捨ててばっかりいるなって、おかしくなっちゃいました。笑
26歳のときに結婚して主婦になったんですけど、夫とは2人で何か一緒にできることをしたいねって。
それで見つけたのが多肉植物でした。
◆順調な活動とはウラハラに
ー吉原さんの意外な過去に驚きました。結婚後に多肉植物を扱う仕事をご夫婦で始めたんですよね?
そうですね。多肉植物のリースにたまたま出会ったのがきっかけでした。最初は趣味だったんですけど、ハマってしまって…。
当時私は主婦、夫も別の仕事をしていて、気軽に多肉植物を扱う活動を始めたんです。そうしたら、タイミングよくブームになって。
仕事としてすごく順調に行ったんですよね。
でも9年目くらいから、2人の考え方に違いが増えていって…。
わたしは生活に寄り添う植物でありたいと思っていたんです。
夫は少しずつ「植物とは?人とは?」って哲学的に植物を扱うようになりました。
家でも仕事の話をすることが増えて、この活動を良くするための話し合いを日々していたんです。
でも、お互いの意見がだんだん食い違うようになって、ぶつかることも出てきた。
そんなことが続くと、自信がなくなって、どんどん自分を否定するようになって。
最初はどう上手くやっていこうか考えてたんですけど…。
いつしか考えの違いや埋められない距離に耐えられなくなって、結局離れることに決めたんですよね。
◆人生の転換期 面倒は一旦脇に置いて
ー離れると言えど、現実的なあれこれを考えると、踏み出せなかったりしませんでした?
そうですね。家も建てたし、わたしの母親とも同居していて、生活やお金の心配ももちろんありました。
面倒なことや不安もたくさんあったけど、それもすべて脇に一旦置くことにしたんです。
毎日笑っていたいと思ったから。絶対なんとかなる、なってきたし!と思うようにして。
シンプルで素敵なアトリエにて。
それに、本当の自分を試したかったんだと思うんです。
わたしは常に裏方の役割だったんですよね。
心のどこかで、自分も作りたい、前に出たいって思ってたような気がしますね。