なにすてた? #05 leton 石崎恵子さん | 前編 ずっと続けたかった

仕事に家事に、ひとによっては育児や介護。
忙しく働くわたしたちは、こころも身体も重くなりがち…ですよね?

いつも軽やかで、すこやかなひと。
ときどき出会うそんなひとたちは、「手放し上手」だって思います。

手放すことで気づき、前に進むことがある。
それがこころと身体の養生につながるように思うのです。

さまざまなことを見つめ直すこのご時世。
連載企画「なにすてた?」では、素敵なひとたちのこころの断捨離ものがたりをお聞きしていきます。

前編 ずっと続けたかった

第5回目は、美容師の石崎恵子さんです。

7歳、5歳、1歳の3人のお子さんを育てながら、ヘアサロンleton(レトン)を営んでいます。
一昨年の秋までは、某有名ヘアサロンに18年間勤めていました。
ですが、3人目のお子さんの妊娠をきっかけに退職し、2021年1月に仲間たちと銀座にletonをオープンさせました。

わたしの髪は長年、石崎さんにお世話になっています。
髪を切りながら、仕事のこと、生活のこと、子どもや家族とのことをおしゃべりしていると、
いつも軽やかで、なんだか楽しそう。

そのすこやかさの秘密を知りたくて、letonにお邪魔してお話を伺いました。

◆いつも思い通りにならなかった髪型

ー美容師になったのは?

わたしにとって美容師は身近な存在。父が理容師、母は美容師なんです。
静岡の実家では、両親が理容室を営んでいました。

美容師になったのは、母にすごく憧れてというより、髪へのこだわりが強かったからかな。
わたし、小さい頃から自分の髪質が気に入らなくて…。
子どもながらに、髪を切ったときの仕上がりや日々の髪型・結び方にも、納得がいっていなかった。
イメージと自分の髪型にギャップがあって、こうじゃないんだよなぁって、いつも思っていました。



中学生の頃まで、髪はずっと母に切ってもらっていたんです。
でも仕上がりが不満で、母とちょっとしたけんかになることもありましたね。

そんなこだわりもあって、中学生の時には美容学校に行きたいと思っていました。
そのために、高校を選んだりもして…。
性格は割と流されやすいタイプなんですけど、そこだけは揺るがなかったんです。

高校生になったら、自分で髪を切ってみたり、美容院に初めて行ってパーマをかけてみたり。
色々試行錯誤もしました。でも結局パーマは似合わないし、先生には呼び出されるし、その後すぐにストレートに戻しましたけど(笑)

高校卒業後は、母は地元の専門学校に行って欲しかったみたいですけど、念願かなって上京して。
美容専門学校に通い、前職のヘアサロンに入りました。


◆鍛えられたサロンでの日々

「ブローモデルになってもらえませんか?」
石崎さんとの出会いは、渋谷スクランブル交差点前で突然声を掛けられたのがきっかけ。
練習台としてお付き合いしていくと、華やかさの裏にある、地道で厳しい世界が垣間見えました。

― ヘアサロンに勤めてからの日々はいかがでしたか?

営業時間前後も、とにかく忙しかったですね。
アシスタント時代は、週に2回スタッフ全員に見てもらう練習会がありました。
すべてに実際のモデルさんを使う必要があったので、モデルハントも大変でした。
練習会以外の日も、先輩に技術チェックをしてもらう毎日。



シャンプー、ブロー、カラー、メイクにカット。覚えることが山ほどあって。
技術を習得するために、早朝から日が変わるまでひたすら働いて、家には寝に帰るだけ。

スタイリストになるまでの5年は、自主練自主練の日々でした。
自主練習というのは名ばかりで、否応無しでしたけど。(笑)
当時のサロン業界は、今よりずっと厳しかった。そのおかげで、ずいぶん鍛えられました。


◆応えたい、やれるなら

― 長年勤めたヘアサロンをなぜ辞めたのですか?

美容師をずっと続けたいと思ったんです。
長くやってきて、これからのことを考えた時に、20年後にそこに自分がいるイメージが湧かなかった。

おばあちゃんになっても、働き続けられる環境が欲しいな。って…。
だからもう少し柔軟に働ける場所を今から作っておきたかったし、新しいこともしたかった。
そう思っていたタイミングで3人目の妊娠がわかり、辞めるきっかけになりました。

会社に大きな不満はなくて、ずっと優遇もしてもらっていたから、むしろ感謝していたんです。
スタイリストになって、31歳の時に同じく美容師の夫と結婚しました。
子どもができて、保育園のお迎えに間に合うよう、わたしは時短勤務で働いて…。

時短勤務中は、後輩の練習に付き合うこともなく、自分のお客さんだけ対応して帰る日々。
楽ではあったけれど、スタッフを育てられていないなあ…って。
思うところもありながら、現状維持で働く日々でした。



でも妊娠が分かった時、3人目が産まれたら、子どもの行事も3倍になるって考えて…。
時短勤務で子どもの行事の度に遠慮しながら優遇してもらうことも、これ以上、制度の中で長期間育休を取りたいとも思えなかった。

普通は長く育休を取れることを喜ぶのかもしれませんが(笑)、私は違ったんですよね。
1人目の長男の時は、1年半保育園に入れませんでした。
その間に2人目の次男を妊娠して、一時仕事復帰したものの、破水してすぐにドクターストップになってしまったんです。
結局、トータル2年半の長期育休を取ることになりました。

その時にすごく申し訳ないなと思ったんです。待っていてくれるお客様に対して。
これ以上自分の都合で、その方たちの髪のケアや生活に迷惑をかけたくない。
だから求められて、自分ができるなら、可能な限りそれに応えたいなという思いが、ずっとあったんです。


中編「『楽しい』をいつも、自分の手で」
へ続く。7月中旬公開予定)