なにすてた? #06 uraraka 高橋千草さん | 前編 探しつづけてた

仕事に家事に、ひとによっては育児や介護。
忙しく働くわたしたちは、こころも身体も重くなりがち…ですよね?

いつも軽やかで、すこやかなひと。
ときどき出会うそんなひとたちは、「手放し上手」だって思います。

手放すことで気づき、前に進むことがある。
それがこころと身体の養生につながるように思うのです。

連載企画「なにすてた?」では、素敵なひとたちのこころの断捨離ものがたりをお聞きしていきます。

前編 探しつづけてた

第6回目は、uraraka店主 高橋千草さんです。

urarakaは、暮らしに寄り添う道具や衣服を扱うセレクトショップ。
2020年4月に群馬県桐生市にオープンしました。
千草さんが小学生2人の娘さんの子育てをしながら、旦那さんの高橋隆(りゅう)さんと一緒に立ち上げたお店です。

来る人にとって、晴れやかな気持ちになれる、穏やかな場所でありたい。
そんな思いをこめて、urarakaと名付けたのだそう。
お店の名前を表すように、朗らかでゆったりとした雰囲気をまとう千草さん。

ですが、今のようにいられるようになったのは、つい最近のことだとか。
お話を伺ってみたいと思い、urarakaにお邪魔しました。

◆何がしたい?何ができる?

ー自分のお店を持って店主をしていることが、いまでも時々信じられないという千草さん。
 これまでどんな道を歩まれてきたのですか?

小さいころは、引っ込み思案でしたね。

両親はともに公務員で、どちらかと言えば「好きな趣味や生活のために、安定して働く」。
そんな姿を見ていて、わたしは違う方へ憧れて‥。
「好きなことを、仕事にしたいな。」って、少しずつ思うようになったんです。


高校は進学校で、まわりは大学に行くことをスムーズに決めていたんですが、わたしはなんとなくピンとこなくて。
そんなとき、友達と話していて、美容師っていう職業に興味が湧いて‥。
高校卒業後は、地元の前橋から上京して、美容の短期大学に入って、そのまま都内の美容室に就職しました。

当時はそれこそ、終電で帰って、家には寝に帰るだけ、みたいな日々で。
なんというか、その辛さを乗り越えてまで、スタイリストになるんだーとか、楽しい!っていうところまで、行き着けなかったですね。
なので、2年くらいで地元に戻りました。
そのあとは、本屋さんで見かけた、白馬の山荘で住み込みで働いてみたり。
そこでも憧れとは裏腹に、仕事が厳しくて…。
結局また地元に帰って、洋服屋さんで販売員として働いたり。

20代のころは、仕事を転々としていましたね。
その度に、わたしって何ができるんだろう。何していきたいんだろう。
自分ってどういう人間なんだろう、自分のいいところって何があるんだろう。って。
考えれば考えるほどわからなくなって、さまよっていました。



思い返すと、「これがやりたい」っていう強い意志があるわけでもなくて、わりと優等生なタイプでした。
上に兄が3人いる4人兄弟の末っ子だったから、
心配性の母親が「これやってみたら〜」とか「こっちがいいんじゃない〜?」とか。
わたしが転ばないように、怪我しないように、先回りして道を作ってくれたことも多くて…。
だから、いざ自分の進路を決めるときに、わからなくなっちゃったんですよね。

美容師になることを母親に相談した時も、
「甘やかされて育っちゃったから、あなたには無理なんじゃない」なんて言われて。

それでも自分で選んでみるんですけど。
うまくいかないと、「母の言う通りだった」なんて、最終的には親に頼ったり。
親のアドバイスでうまくいかなった時は、親のせいにしてしまったり。

結局、自分で選ぶ自信がなくて、「自分の声に従って決める」っていうことをしてこなかったんですよね。
でも、人に喜んでもらいたい。そこに関わっていたい。しっくりくる仕事で生きていきたい。
ずっとそう思っていたんです。

◆いつか2人で

―そんな千草さんが、urarakaの店主として、お店をオープンするまでのいきさつは?
 旦那さんである隆さんとの出会いが1つの転機になったとか。

地元の洋服屋さんで働いていたころ、時々東京へ遊びに行っていたんです。 
行きたかった靴屋さんが谷中にあって、その帰りにふらっと立ち寄ったのが夫のお店classicoでした。
夫とはお客さんとして出会って、だんだんと親しくなって。
遠距離で付き合ううちに、結婚の話も出るようになったんです。
でも夫は17歳上で、個人事業主。

安定した職業についてきた両親には、猛反対されましたね。
最終的には「気持ちが変わらないなら…」と許してもらったんですけど。
夫と両親で、三者面談が開かれたりもしましたね 笑


ー 高橋隆さんが企画するclassicoオリジナルのh.b shirtsは、urarakaでも展開。

しばらくは、結婚してからも東京に住んでいたんですけど、娘が2人産まれて。
上の子が保育園に入るタイミングで、桐生にやってきました。

当時の東京は、保育園に全然入れなかったんですよね。
それにもう少し自然に囲まれて、娘たちが身体をいっぱい動かせるような保育環境で育てたいなと思って、移住を考え始めました。
それでもやっぱり縁もゆかりもない土地へ、ポンと行く勇気はなくて‥。
実家にも割と近くて、いいなと思う保育園が見つかって、桐生で家探しを始めました。
そのときに見つけたのが、今のurarakaの場所です。


2Fが住居のつくりになっていて、1Fはパチンコ台の製造工場だったとか。
夫とは、「2人でいつかお店をやりたいね」って、移住の段階から住居兼店舗の物件を探していましたね。

そうは言っても、まだ娘たちも小さくて、移住後もしばらく1Fは倉庫のままでした。
そのころは、夫は東京で単身赴任をして、1週間に1回帰ってくるような生活。
1歳と3歳の娘たちを1人でみて、日々をまわしていくのに精一杯で。
だから、なんて早まってしまったんだろう‥って思ったりもしましたね。笑

下の娘が小学生になると送り迎えがなくなるので、
娘の入学に合わせるように、お店のオープン日と屋号を決めて。
そこに向けて、少しずつ自分たちの手で作っていったんです。
天井パネルを外すところから始めて、ペンキを塗ったり、什器まで自分たちで作って…。
urarakaをオープンするまでに、なんだかんだ2年近くかかったかな。
 
お店を始めてはみたものの、コロナ禍だったので、すぐにはうまくいかなくて、落ち込む毎日でしたね。


『中編「ないもの」と「あるもの」』へ続く(3月末公開予定)